STORIES / 作品ストーリー

東京大空襲 CARPET BOMBING of Tokyo
イントロデュース
終戦から80年――。1945年3月10日、東京下町を襲った焼夷弾の嵐。戦争の終わりを急ぐアメリカ軍による無差別爆撃は、カーチス・ルメイ司令官のもと、2時間半で10万人の命を奪った東京大空襲をはじめ、山の手空襲、八王子空襲、また日本各地で繰り広げられた。人間に向けての機銃掃射。そして広島・長崎への原爆投下へと繋がる。
戦災孤児となった子どもたちは社会から「浮浪児」として扱われた一方で、多くの孤児を引き取り育てた愛児の家の石綿貞代の活動は希望となった。また疎開中に空襲で家族を失った「うしろの正面だあれ」の作者、海老名香葉子の記憶も繋がれる。
一方、現代ではウクライナやイエメン、ガザなどで、市民が犠牲となる戦争や紛争が続いている。国境なき医師団の看護師・畑井が目撃した現実は、戦争がいまだ繰り返されていることを突きつける。
証言者31名のオーラルヒストリーと膨大な資料が、戦争の悲惨さを鮮やかに蘇らせる。音楽はMISIA「Everything」を作曲した松本俊明の新曲が彩る。
取材中にも2名の方が亡くなり、時間的にも受け継ぐことの厳しさを目の当たりに。
終戦80年目の節目に、戦争の記憶とその意味を問い直す渾身の記録映画。
ストーリー
1941年12月8日、日本軍の真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まる。華やかだった戦前の東京、浅草も終戦間際には焼夷弾の攻撃により、人も家も何もかもが焼き尽くされた。その渦中にいた上野は、言問橋を渡り逃げ込んだ家から見た火災扇風に人が巻き上げられていた。笹川は浅草から上野方面に逃げるが進めない。同じ時、深川では濵田が炎を潜り抜け清澄庭園に逃げ込み、関野は中川の土手沿いの防空壕で耐えた。
その後に続く表参道への山の手空襲では泉が見た死体の山、終戦間際に襲われた八王子では焼夷弾と機銃掃射の攻撃で、石井の目の前で母子が撃たれる。
一方、荏原では焼夷弾の消火、遺体の処理をした今野は記憶を80年間胸にしまってきた。
いったい東京で何が起きていたのだろう。
a hope of NAGASAKI 優しい人たち
今までマスコミなどで被爆体験を話したことがない被爆者の方々の新たな証言※1をドキュメンタリー映画化。
今までも多くのアーカイブが残され、もう語ることができる体験者はいないだろうと言われて久しい中、松本監督が1年を掛けて取材を続け、得た10名の証言を一本の映画として完成させた。
そこから見えてきたものは…
親を亡くす、友達を亡くす、差別や偏見、いじめで苦しむ
ありとあらゆる人間の惨状を経験したにもかかわらず、それらを乗り越えてきたマインドとは…
『恨むことの無意味さ』から平和への思いが語られる
新型コロナウイルス
米中対立
イラン情勢
北朝鮮問題
香港情勢
格差社会
上げればきりがない不安定要素が、世界の緊迫度を高めている現在。
その中で迎える原爆投下から75年、終戦から75年をどう見つめるべきなのかを考えるきっかけになることを祈り、幕を開ける。
for you 人のために
2016年、オバマ大統領(当時)が歴代アメリカ大統領として初めて被爆地広島を訪れた。
多くの被爆者が追悼式典に参列する中に森重昭の姿があった。
オバマ大統領は森の前で立ち止まり、優しく彼を抱き寄せた。
その時の意味とは。
アメリカが原爆投下地を決断した時、その地にアメリカ人がいないことが選ぶ基準となった。
しかし、実は数日前に日本軍によって撃墜されたアメリカ軍機の捕虜が広島にいたのだ。その事実を40数年かけて調べ上げ、乗組員らの遺品をアメリカ人家族に返却したのが森である。
彼をそこまで動かしたものは何なのか…。
また広島には人のために尽くした人たちが多くいる。
原爆手帳の取得や制度の見直し、暮らしへの寄り添い。
立ちはだかる挫折を乗り越えた力とは。
被爆しながらも救護活動を続けた外国人神父たち。自身も怪我を負いながら、広島市民の救護活動を行っていた。 被爆直後は外国人であることで恐怖を感じながらも、市民に寄り添い続けた。
なぜ彼ら、彼女らはそこまで人のために動くのだろうか。
広島原爆を通し、当時の惨状から人々の生き様を浮き出し、「人のために生きた人たち」をフューチャーしたドキュメンタリー映画。
生きる FROM NAGASAKI
1945年8月9日11時2分、広島に続き長崎にも原爆が投下された。
多くの犠牲者が出た惨劇であったが、生存した者たちも多くいる。
その惨劇の中で、永井隆と一緒に救護活動を行った者も健在である。
しかし年月とともに彼女にも変化が…。
終戦直後、家にアメリカ兵が立ち寄ってきて、オルガンを弾くように言われ演奏していた少年。毎日のように彼らはやってきて歌うのは「きよしこの夜」だった。いつしか彼らとのコニュニティーが出来上がり、ある将官がついに妹を自分の娘にしたいと。
その少年だった武立は、その思いを今に蘇らせるために向かった先は、とある教会である。
未だに被爆体験を話してこなかった被爆者がいる。
風化されつつある原爆の事実が、ある家族のやり取りでも見られた。
団らんの中、原爆を知らない親戚に「当事者の気持ちがわからんか!」と叱責したことを思い出す被爆者もいる。
そして「皆に支えられて生きてきた」と言う者も多くいる。
差別や偏見がある一方、支え合う人々の思いも存在し、それぞれの生きてきた思いを綴る。
被爆した方々のその後の生活、想い。凄惨な暗いストーリーではなかった
こんなご時世だからこそ、考えさせられるものがありました。人と人が手を取り合い、分かり合える平和な世界が来て欲しいです。
九州出身なので戦争に関わる授業をたくさん受けて来ましたが、辛いだけでなく心が救われるような気持ちになったのは初めてです。
良い人たちを狂わせてしまう戦争というのは2度と繰り返してはいけないと思った(高校生からの感想)
今日見たものがドラマではなく、実話だということが信じたくないと思ったし、本当に長崎広島で起こった出来ことなんだと改めて思った (高校生からの感想)
今、子どもたちが熱心に取り組んでいる平和学習を私たち大人も忘れることなく
語り継いでいかねばと心底思いました。気づきや振り返りの機会を与えてくださり大変ありがとうございました。今年の原爆の日はまた特別な日になりそうです。(長崎先行試写会)
私たちの世代は、自分の祖父母から戦争体験をそれなりに聞いていて、なんとなくは理解していますが、子供の世代は、直接聞いている子はごくわずかだと思います。
二度と戦争を起こさないため、未来を担う子供たちには特に、ぜひ見ていただきたい映画です。
音楽も素敵でした。(長崎先行試写会)
語ってくださった皆さんが、恨みの感情を言われていないことが本当にスゴイと思いました。
教育の在り方次第であると感じました。
勝手な思い込みをしない、自分で調べる、自分で確認することもしっかり行っていくことが大事だとも思いました。
今後の学生生活に活かしたいと思います。(高校生・長崎先行試写会)
私自身被爆2世で、平和公園や映画にも出てきた浦上天主堂付近で生まれ育ちました。
8月9日の話は幼少のころから色々と聞く機会が多かったですが、今回の映画はある意味非常に新鮮でした。
戦中の異常な日本の様子や戦後の被爆者の人生にまで広げることで、より、人間の人生が戦争によって大きな影響を受けていることを鮮明に感じる事ができました。
人間は、「怒り」や「憎しみ」といった感情よりも、「悲しみ」や「喜び」といった感情の方が長く続くように思えましたし、それによって同じ過ちを繰り返さないような浄化作用があるのではないかと救いを感じました。(長崎先行試写会)